膜の張った世界

少しそこに入りやすいところがあって

1人暮らしのその家では
テレビをほとんど見なくなった
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そこに入りやすいから、いつの間にか音のない生活をするようになった
そのスペースがもくもくと膜のはった世界に変わってしまうから

ドラマや映画
小説をあまり見なくなったのはそのせいだったのかもしれない

久しぶりに読んだ小説は
西加奈子の「うつくしい人」と「さくら」
夜中にかけて一気に読みふけった「さくら」は悲痛なほどわたしをそこに連れていってくれた
言葉ひとつひとつ

昔からなにかの世界に入っても
わたしはわたしであり、その中の誰かになることはない

涙が止まらなくなったのは22時頃で、一気に読み終わったのはその1時間半後だった
このまま寝たら、明日の朝は別人だ
そう思って、無理やり2時頃まで起きていた

なぜ、打てない球を投げてくるのだろう と言った
打たれへん
と。
だけど、ほんとうは
神様はいつだって打てないボールなんて投げて来なかった。
ボールを投げ続けていたのは、僕らだったんだ。
その度に、僕らのボールを受け止めた。
どんな猛スピードだって、悪送球だって、
「おいおい、全部、同じボールだよ」そう言いながら、受け止めた
ああ僕らには、変わらない日常があった。

頭から離れないこの言葉たちを綴ってる今も目頭が熱くなってきて
涙がこぼれそうなのだ

入りやすすぎるから
少し膜のはったような金曜日をすごしていて、ざわつく心は「さくら」の最後を
勝手に綴り出しそうでそれを留めるのに必死だったりする

変わらない日常の中、新しい挑戦をする、と言った人生の先輩は
二つ返事できないその挑戦のことを
「たったそれだけのこと」
そう言った。

たったそれだけのことで、わたしは何も変わらないと。
変化し続ける毎日を、遠くから眺め
ちゃんとそこにあり続けるわたしを知り
いつも穏やかに見守り続ける人でありたい

もう一冊、借りてる本がある
その世界に、自分が入ってしまったら
膜の張った週末をすごさなきゃいけないから

少し読むのを躊躇している