ことばのむこう

旅とヨガと友だちと、たまにコスメ

気づいてしまったら。

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気付いてしまったら

もう目をそらすことはできないのだ


その問題に向き合うことが

とても悲しくて辛くて

自分をすり減らすことだとしても

 

蓋をして隠すことも

見て見ないふりも

もう限界がきたということ。

 

気付いてしまったら

 

新しいステージへ向かうときが来たのだと

自分に優しい決断のできる人でありたい

台風としなやかさ

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自分の言葉や行動が、すべて自分に返ってくるのならば

願わくば、

棘ではなく

刃ではなく

苛立ちではなく

 

 

10年ほど前にどこかの媒体で書いた

ことばのむこうの話

ことばのむこう - ことばのむこう

_____

台風の目はとても静かなのに

まわりはとんでもない雨風で吹き荒れている


大木でもなぎ倒すほどのエネルギーに守られて

ただただ、台風の目は静かなのだ

そこに何者も入って来ることができないように

休むことなく嵐をおこす

 

 

しなやか という言葉について考えたことがある

ただ、任されたヨガのクラスタイトルに「しなやか」という言葉が使われていたから という理由なのだけど。


わたしは決して素直な方ではない、どちらかといえばひねくれているし

ちょっと頑固だし、ちょっとプライドだって高い

だけどヨガをするときだけ、なんでだろうか

本当に素直になれるのだ

だから、ヨガをしているときと普段のわたしは違う。と改めて言われることがたまにある

どちらもわたしなのだけど、初めて言われたときは正直びっくりした

そうなんだ?そんなに違う?って


素直になれる時間、自分にただ正直であれる時間

自分に優しくしてあげれる時間

自分を認めてあげれる時間


だから少しだけ、自分に自信が持ててる時間

なんの役割もないわたしであれる時間


しなやか 柔軟さ

竹のように、どんな強風が吹いても限界までしなって

風が過ぎ去ったあと静かに元の場所へ帰っていくように

そんな柔軟な心であれたらいいなあ


そう思っている


そう思っていても、

とてつもないエネルギーに巻き込まれて

完全に飲み込まれてしまった


そしてわたしは、

棘ではなく

刃ではなく

苛立ちではなく

とは裏腹に

そればかりを投げていた気がする


誰が何が悪いでもなく

ただの起こったことのはなし

 

 

竹だっても折れてしまうこともあるし

朽ちてしまうこともある。

小さな芽から新たな誕生もあるし

折れた竹は新しい何かに生まれ変わることもある